旧制京都中学校
旧制京都中学校は、日本だけでなく広くアジアからも留学生を受け入れ、優れた人材の育成、教育の発展、平和への寄与を目的に活動しておりました。
沿革
明治39年 | 4月1日 | 西師意(ニシモロモト)は京都市上京区岡崎町善正寺の元東山檀林校舎を利用し私立京都中学を設立、これを府知事が認可。 |
明治39年 | 4月14日 |
文部大臣より中学校舎による私立中学校として認可。 初代校長に大橋十右衛門が就任、生徒定員 300名 |
明治41年 | 11月 | 校主兼校長に西師意が就任 |
大正7年 | 5月 | 生徒定員 400名認可 |
大正8年 | 8月 | 校名を京都中学校と改称認可 |
大正9年 | 4月 | 校長に岩城良太郎が就任 |
大正10年 | 9月 | 生徒定員 450名認可 |
大正11年 | 10月 | 校地を拡張し寄宿舎を建築 |
昭和5年 | 6月 | 校長に西村力が就任 |
昭和9年 | 6月 | 校長に池松時和が就任 |
昭和10年 | 10月 | 校長に中江源が就任 |
昭和11年 | 9月26日 | 校主 西師意が死去(享年74歳) |
昭和16年 | 3月 | 生徒定員 750名認可 |
昭和16年 | 4月16日 | 校長に西村力が就任 |
昭和16年 | 6月21日 | 校主兼設立者に西師溥(師意の長子)が就任 |
昭和17年 | 6月13日 | 西 師溥が財団法人京都中学校を設立 |
昭和18年 | 12月7日 | 校長に高天房五郎が就任 |
昭和20年 | 5月17日 | 校長に松田精四郎が就任 |
昭和20年 | 8月15日 | 終戦 |
昭和22年 | 学制改革により京都高等学校に改組 | |
昭和26年 | 1月30日 | 校主兼設立者 西師溥が死去 |
昭和26年 | 廃校(休校)となり、在学生は東山高校へ編入 | |
昭和29年(1954) 跡地に京都市立錦林小学校福の川分校を設置
現在跡地は、京都市立白河総合支援学校の用地として利用されている。